ふと、民家と民家の間に目をやると、真っ黒な水平線が見えた。家の1階と2階の間くらいの高さだった。
「目の錯覚?」
事態がのみ込めないまま、電話口の親友に叫んだ。
「津波が来た!」
電話をズボンのポケットにしまった。波に民家が倒される「グシャッ」という音が背中で聞こえた。
「侑胡、侑杏、早く!」
アパートに戻り、玄関口で2人を呼んだ。長靴を履かせ、ドアを開けると、道路が水浸しになっていた。
「ここからは出られない」
長靴を履いたまま、廊下に上がり込んだ。
ガシャーン。窓ガラスが水圧で割れ、猛烈な勢いで水がなだれ込んできた。
「だめだ」
海と反対側にある別の窓から脱出しよう。そう思った瞬間、その窓からも水が入ってきた。玄関のドアが下からめくれ上がり、水が一気に長靴の高さまで流れ込んだ。
「ママ、しゃっこい(冷たい)」
侑胡ちゃんの声を聞き、2人の娘を抱き上げた。
海水が渦を巻き、コタツが浮き始めた。
「子どもたちが先に埋もれてしまう」
2人のお尻を両腕で支え、さらに高く抱き上げた。それでも水位はどんどん上がっていく。長靴がストンと落ち、足が床に着かなくなった。
「私たち3人、こんなに早く死ぬんだ。人生あっけなかったな。こんなので死ぬんだ」
高さ2メートル以上の天井に頭がつき、3人とも水没した。脇腹で、2人が足をバタバタさせているのを感じた。
「苦しいんだね。ごめんね、ごめんね」
何度も謝った。水中でのどの奥の空気をのみ込んだ。
「どうせ死ぬなら絶対離れたくない。この手は絶対離さない」
2人の体をギュッと抱きしめた。静かに楽になりたいと思った。
どのくらいたっただろうか。つむった目の上が白んできた。
「脳に酸素が行かなくなったのかな」。遠のく意識で思った。
目の上がさらに明るくなった。口を開けた。息が吸えた。目を開けた。ぐちゃぐちゃの部屋が目に映った。水が引き、足は床に着いていた。
「えっ?」
すぐに、抱きかかえていた2人を見た。侑胡ちゃんはぼうぜんとして、侑杏ちゃんはむせていた。
「生きている」
侑胡ちゃんのほっぺをたたいた。倒れた冷蔵庫の上に2人を下ろした。
「生きなきゃ。行かなきゃ」
侑胡ちゃんの手をつなぎ、侑杏ちゃんを抱きかかえた。外に出ると、必死に駆けた。高台にたどり着き、振り返ると家々が浮いていた。
– asahi.com(朝日新聞社):津波の中で抱きしめた 母娘3人、35分の生還劇 - 社会